■ 歴史街道コース②

悠久の館〜道の駅いながわ(国史跡:多田銀銅山から新田、峠越えの道)

国史跡・多田銀銅山にある資料展示施設。中庭からは江戸時代にあった、代官所跡地を見る事ができます。入館無料で、銀山から道の駅や屏風岩へ、あるいは逆に日生中央方面へ行く人達で賑わいます。

悠久の館の向かいにある「悠久広場」。この上に上がると明治時代の製錬所の遺構がを見る事ができます。

駐車場は悠久の館とこの悠久広場の2ヶ所のみです。

すぐ先にある銀山橋です。江戸時代、銀山町にあった5つの公儀橋の一つ。橋の下の川には、昔の橋脚跡が丸くくり抜かれているのが見られます。

橋の袂の旧地名は『魚の棚町』。朝市が開かれ,魚が売られていました。

橋を渡って左に行くと、江戸時代から残る高札場跡があります。左端は現代のオブジェ、右端は金毘羅大権現の燈籠です。

ここから銀山の奥へ進みます。この道は銀山のメインストリート、本町通りです。

左側に燈籠が見えてきました。甘露寺に行く入口です。

お地蔵さんです。その重労働のあまりの辛さに、向いの山から飛び降りる坑夫が後を絶たないことから祀られたと言われています。

甘露寺へ続く入口です。今は廃寺となっていますが、西暦571年の建立とされ、その歴史の長さを感じさせます。

本町通りをさらに進みます。当時は役人長屋や鉱山師の家がありました。

代官所の門が移設されたと言われる広芝邸です。

右手に平炉跡が見えてきました。赤茶けた石垣や岩肌が見られ、ここが製錬の跡だったことがよくわかります。下の川には製錬の過程で出たカラミが散在しています。

平炉跡の先には金山彦神社が見えてきました。

この付近の川は、多田銀山史跡保存顕彰会が年2回清掃活動をしています。

金山彦神社です。見えるのは一の鳥居です。大同二年(807)建立。蔵には見事な御神輿が残されており,秋祭りにはその姿を見る事ができます。

金山彦神社の本殿から下に降りると、神宮寺が見えてきます。

神仏混淆のかたちろとる神宮寺。寺の宗派は真言宗、右に薬師如来を、左に大山祇命を祀っています。

通風水抜き穴を右に見て、さらに進むと二手に道が分かれます。左に進むと銀山を代表する「台所間歩」や「瓢箪間歩」がありますが、歴史街道は右に進みます。

ここから未舗装の道となります。“歴史街道”の雰囲気がアップしていきます。

右側に続く竹やぶが清々しい雰囲気を醸し出しています。

時代劇に出てきそうな道が続きます。

遠くに一本松山が見えてきました。ここは村上新田で、江戸時代から景観がほとんど変化していないと言われています。

道が突き当たりました。ここは右へ行きます。手前に案内看板がありますので、現在位置を確認しておきましょう。

すぐの所でまた二手に道が分かれています。直進と左折です。

直進は、江戸時代のガイドブックで“北摂第一の景勝地”とうたわれた屏風岩方面へ続きます。

ここは左折します。とても味のある案内サインです。

山に入り,ゆるやかに登っていきます。

ここが峠です。右へ登ると一本松山の山頂です。

下っていきます。手頃な山道です。

道がワイルドになってきました。

眺望はそこそこ良いです。

右手には一本松山が見えます。

道が二つあるように見えます。こういうのが一番困ります。

この岩が目印です。

案内看板がありました。道の駅まであと500mのようです。以外と近いです。

シダが密生する場所に出ました。

水が流れる谷筋を進みます。足場が悪いのでご注意!

ようやく出口が見えました。

住宅地を抜けるとT字路に出ました。ここを右折します。

道の駅が見えてきました。

親水公園「左保姫公園」で川遊びをする人達。のどかな風景です。