今から400年以上前の戦国時代、三蔵山(木津周辺で一番高い山)にあった「三蔵山城」に住んでいたとされる左保姫の悲恋のお話しです。
三蔵山城は佐曽利氏の居城で、明智光秀の娘・左保姫が預けられていました。左保姫は、篠山の八上城(やかみじょう)城主・波多野秀治んぼ息子貞行(さだゆき)と恋に落ち、結婚の約束をしていました。ところが光秀の主君織田信長は光秀に八上城を攻めるよう命令し、落城させてしまいました。貞行は何とか城を逃れましたが、姫とは泣く泣く別れ,いずこともなく消えていきました。
その後,姫の住む城も落城し、姫は悲しみのあまり、目の前を流れる猪名川に身を投げました。姫が入水したところは「姫ヶ渕」と呼ばれるようになったということです。
「姫ヶ渕」に建てられた左保姫伝説の案内板。
昔から猪名川は、どんな日照りの日も枯れることがないと言われています。それは、川が干上がって自身がさらされることを恐れて雨を降らせるからと言われています。
地元の人は「館淵(やかたふち)」と呼び,昔は子供たちの遊び場だったそうですが、いくら潜っても底につけないほど深かったということです。
左保姫が入水したとされる辺り(?)
左保姫が入水したとされる場所には今もその足跡が残って・・いません!
ただ、そこだけ急に深くなっているのが不思議です。
※危険ですから、川へは降りないようにしましょう。
『道の駅いながわ』では、様々な左保姫グッズが販売されています。
猪名川観光のお土産にお奨めです。
現在も遺る左保姫の地名
「道の駅いながわ」の向かいにあるローソンのレシートには、「左保姫」の地名がはっきりと印字されている。