多田銀銅山は、川辺郡猪名川町を中心に箕面・池田・宝塚・川西・豊能・能勢にまたがる東西20㌔、南北25㌔の広大な鉱山地帯です。この鉱脈にそって、約2,000の間歩(まぶ=坑道)がありました。東大寺の大仏建立(749年)の際に使用された銅の一部は、多田銀銅山の間歩から産出したものだと伝えられています。
この広範囲にわたる鉱床地帯の中で、特に品位の高い銀を有する鉱脈が発見された地域が猪名川町銀山で、一般にいう「多田銀山」とはこの限定された一部の地域を指します。天禄年間(970年頃)から本格的に発掘が始まり、昭和48年の閉山まで続いた、一千有余年の歴史ある鉱山です。
また、多田銀山は日本最大の埋蔵金伝説の地として知られ、豊臣秀吉が晩年、一子秀頼の将来を案じ、四億五千万両を分散埋蔵したと言い伝えられており、まさに、銀山は「黄金伝説の郷」でもあります。
主な史跡や遺跡としては、多田銀銅山代官所(役所)跡、堀家製錬所跡、青木間歩、広芝邸に移築された代官所の門、金山彦神社、神宮寺、台所間歩、瓢箪間歩、久徳寺跡等があります。
2015年10月7日には国史跡に指定されました。これは鉱山関連としては、兵庫県内では初めて、全国でも8番目ということで、遺構の貴重性があらためて認識されたと言えます。
玄能池より城山を望む